ルーツ玉川織物

皆野町三沢に残っているノコギリ屋根は、逸見織物の先代、逸見忠重(玉川忠重)が産まれ育った玉川織物工場跡でございます。
秩父志に「三沢村玉川砦、玉川氏」。風土記稿三沢村条に「此地は伝説に、玉川小太郎なるもの居住せし所なり」、土豪なり。
黒谷村条に「瑞巌寺の上岩窟、意玄入道(長尾景春)息烏坊丸と奥方外に二十七人忍居、後山田滋野にて上州白井を攻落、迎に来る、皆仁田を出、行道にて上三沢玉川小太郎相支え、小太郎討死、意玄方も三人討死、今に畑中に墓有、玉川の孫、意玄を社の内に神に祭り置也」と見ゆ。との記載がございます。長尾景春の後、北条氏邦が秩父入りすると玉川の館は氏邦の館として召し上げられ、その後に秀吉の侵攻による戦で焼失。度重なる戦と刀狩りにより土豪たちは刀を鍬に持ち替えて養蚕農家などに転身。上三沢に玉川はなんとか生きるすべを見出して現代まで脈々と続いてまいりました。ざっと5百年~の秩父の歴史をくぐり抜けてきた玉川家で先代の逸見忠重(玉川忠重)は生まれ育ちました。
上三沢の八幡大神社は鎌倉時代はじめ畠山重能・重忠が創建したとされております。境内に玉川家の方を向いている玉川家の氏神様の玉川神社(室町時代)や織姫神社などがあります。玉川織物と逸見織物は、代々、この社の祭典に出なければならない旨が脈々と相伝されております。
古来より織工たちは奉斎神である八幡社を祀って居住地を八幡荘と唱へました。八幡荘は矢波田・矢羽田とも書く。
秩父絹銘仙の矢羽文様は八幡社そのものといっても過言でなく武運長久、勝利祈願、家内福寿、出世開運、病気平癒
、夫婦安泰、子育大願、縁結び、五穀豊穣といった深い意味合いが込められたPOPアートなのでございます。