昔はどの織り元にも工場内に捺染場があり
織り元ごとのデザインや色使いを互いに切磋琢磨しておりました。
デザイン型
ほぐし捺染
新たにデザインが起きると織り元やお客様が型代を収めて
柿渋紙を手堀りして木枠にはめ
整経した経糸に先染め(捺染)します。
つまりこの時点で織り布の裏表に模様が生まれます。
捺染であがってきたものを
再び織り元が織機にかけ織りあげます。
経糸と緯糸の微妙な色合いにより
絹糸がもつ光沢と銘仙独特のテリが光と影に触れ
織り布がさまざまな表情を見せるのです。
緯糸の色で織布の表情が全く違ってまいります。
縞ものは、絹糸を織元が染色を発注し、
染め上がった糸を織り元が整経して織りあげていきます。
縞でも格子でも緯糸の微妙な色使いで
仕上がりがまったく違ってまいります。
☆秩父銘仙ができるまで
0、銘仙の捺染用デザイン型(柿渋木型またはスクリーン)は織り元か
オーダーされたお客様が代金を納めております。
*お着物の捺染用デザイン型と広幅(座布団・風呂敷用など)の
捺染型では型枠の大きさが異なります。
1、デザインが決まり捺染の型おこしが済みましたら、織り元が、糸屋さんに絹糸を発注して代金を支払います。
加えて緯糸の色を指定して発注し織元が代金を支払います。
2、糸屋さんから届いた無地の経糸用の絹糸を織り元が糸繰機でボビンに巻きとります。
3、ボビンに巻かれた絹糸をボビン立てにセットして整経機で
経糸だけひいてお着物の反物幅と長さに整経します。
4、3で整経した経糸を巻き取ったら、織機にかけられるように織り元で糸をつなぎます。
5、織り元が仮織り機で仮織りします。
6、捺染(田中捺染)やさんにほぐし捺染をお願いします。
7、捺染(田中捺染さん)から戻ったら、織り元が、織機にかけます。
8、1で発注した染め上がりの絹の緯糸を織り元が糸繰機でボビンに巻きとります。
9、8でボビンに巻いた緯糸を、更に、管巻機で管に巻きます。
10、管をシャットルにセットしたら7の織機にかかっている
仮織り捺染済の品に、仮織り糸をほぐしながら緯糸を
織り込んで(ほぐし織り)織り上げていきます。
11、織り元で検品後、整理工場さんに整理をお願いし代金を支払います。
12、整理工場さんから戻った反物を再び織元が検品して選別されます。
こうして検品が済んだお品が、秩父銘仙として、お着物の反物、
あるいはKYOKO’sクラフトでバックや小物となり
お客様のもとへとお届けできるのでございます。
*弊社では1回に12ひき(24反)分の絹糸で経糸をひいて整経いたします。
1年間に400反ほどの秩父銘仙を織り上げます。
反物を織り上げるには、染め上がりの絹の緯糸が
デザイン(色)ごとに12ひき(24反)分、1年間で200~400反分が必要となります。
この緯糸を、お客様に、ご納得いただけるレベルで
きっちりと均一に染める上げる技術をもつ工房や上記、12の整理工場さんや
繭から絹糸を紡ぐ製糸所は、既に秩父にはございません。
よって、秩父でつくられた繭はほとんどが
他県に流れてしいます。
重ね重ね真に残念なことでございます。
千年以上も脈々と引き継がれ
血と汗と涙と喜びを産んできた
今でも秩父の農家さんがつくっておいでの
秩父魂の白絹(白繭)や玉繭が千年先でも残っているように
祈るばかりでございます。
因みに、絹のお着物1反を織り上げるには
お蚕さん≒3000匹(繭≒3000コ)≒ 5kg。
お蚕さんが食べる桑の葉は≒100㎏が必要だそうでございます。
繭が化粧品や石鹸、食品などへと多用途化はしましたが
養蚕農家さんへの助成がなぜか無くなり、
秩父でも、1.5トンも繭を生産していた家の中に巨大な神棚が鎮座する歴代の農家さんが
その蓄積されたノウハウを後継者に伝える事もなく、最近、廃業されております。
先日、KYOKOが廃業された2軒の農家さんを回ってお話を伺ってまいりました。
使っておられた貴重な道具を真に志の高い方に引き継いでいただきたい
という事でお取次ぎのお手伝いをしてまいりました。
『良い繭を作ろうと思ったら、桑が大事である。そして、良い桑の種を取って育てる事が
最も重要である。ただ、桑の葉を貰いに来るだけで、形だけお蚕をやるのなら誰にでも出来る。日々、惜しみなく研究に励みなさい』と申されたそうです。
絹糸を確保するのも困難な時代でございますが、
日本中でこのような加工工場や原材料の不足はおき、
もはや市や県とかいった垣根をこえて
より質の良い原材料を探さないと自立さえままなりません。
日本中の産地と技術で互いを支え合い、より新しく、より良き日本の品が求められる
グローバルな時代なのでございます。
分業となった秩父銘仙の各関連工場どうしが
これまで何十年も仕事を出し合って
互いを支え合ってまいりました。
古銘仙にこだわって、現代銘仙を売らなければ
量産も出来なくなり、じり貧で内向きな小じんまりとした活動だけとなり
やがては絶えてしまいましょう。
秩父銘仙をつくっていない工房が銘仙の看板を立てて
秩父銘仙を主導あるいは仕切ろうというのであれば
また新たな既得権が生まれ、
真にある秩父銘仙関連工場や新規に参入した意欲のある工場が
それぞれに持つ独自の個性や技術が損なわれます。
よくもまぁ次から次に助成事業のお題を見つけます事で・・・
趣味の程度の技術しか持たない方(後継者育成は大事ですが、
公私を混同してはなりません。)を集めて、0から始める壮大な銘仙の事業計画で
年に一反・二反の趣味の程度の品しか作れないのであれば、
報告書は書けても目の肥えたお客様の目はごまかせません。
御社様がお持ちの得意な技術から作り上げられた
織り布を極められてゆかれたほうが
より早く、より安上がりではないかと存じます。
無くなったとか、復活させたとかがひとり歩きして、
なぜ、今、内向きな方や密室にばかり行きたがるのか、
大切な仕事仲間を次々と失い、瀕死の秩父銘仙の現実が
検証されないまま突き進んでいるのが大変に危ぶまれます。
弊社は、常に、新しきを取り入れて進化を続けてまいりました秩父銘仙のスピリットを、
これ以上は足踏みさせたり、後退させる訳にはまいりません。
再び、逸見織物出張所を町中に復活させて、秩父魂の歴史や伝統の織物を
まずは足元からコツコツと発信して
最後の御恩返しに努めて参りたいと存じます。