弊社の現代秩父銘仙の逸品へと成長いたしました

今、弊社の一番人気。POPアート銘仙が出てまいりました。
田中捺染様にいつも無理をお聞き届けいただきまして
ありがとうございます。
流石の出来栄えでございます。
ながらくお待ちくださっておられますお客様。
申し訳ございませんが、あと、少し、お待ちください。
歴史に詳しいお客様が、平氏の旗印の蝶を連想した
とのご意見をたまわりましたが、まさにその通りでございます。
秩父武基(平武基)さんが謀反の罪を着せられて
佐渡に島流しにされて以来、
秩父のねじれた骨肉の争いの歴史は
兄弟同士の争いというよりは
当時の権力者の争いであったと思います。
畠山氏が源氏に従い馬を担いで戦に奮戦し
秩父に誇りと希望を取り戻してみせた功績をイメージしながら
モダンに再現しました現代POP銘仙でございます。
その畠山氏もついには謀反の汚名を着せられて
時の政権に使い捨て同然に断罪されてしまうのですが・・・
秩父の札所巡礼は、弟の義経をも追いやった
そんな鎌倉幕府がはじめましたのでございましたかなぁ?
その後、戦国時代の先駆けとなった長尾景春(秩父氏)の

長い戦いは、畠山氏のそれとよく似ていて

民はこれまで自分たちが生み出してきた富が他国へと

搾取され流れ続けている事に強い不満を抱き続けて

いたのではないでしょうか?
長尾さんが長く戦う事ができたのは、民が、
影に日向に、長尾さんを支援し続けていたからに
他ならない・・・長尾さんを追い詰めた
盟友の太田道灌は、主君に暗殺され・・・

・・・そしてあの秩父事件。
歴史は大なり小なり点なりの繰り返しでございます。
故に石のごとくに擦り減りましても
並んで凛として胸を張り、大なり小なり深くも浅くも、
共に歩んで参りたいものと存じます。
もうあまり時間はございません。
お互いに・・・
最盛期には人口の7割が銘仙関連の仕事で
涙や汗を流して泣き笑いしておりました秩父の町では、
今、その息子さんやお孫さん曾孫さんが
暮らしているのでございます。
決して、地球の裏側の
神秘と遙かなる秘境の国ではございません。
2013年の秩父は三鷹市から車で90kmあまりのところにある
ごく普通の田舎町なのですから。

下は別の織機に「籠め」が出てまいりました
養蚕で農家さんがお使いになる道具が
その名の由来でございます。
退院以来、
かなり調子が戻ってまいりましたので、
手織機に正絹の帯を段取りして
更に、リハビリに
努めてまいろうと存じます。
フレンドリー・シップ・ブースの開設でございます。
この卓越した色使いはわたくしどもでさえ
真似ができないほどの素晴らしいお品で
見ているだけで元気をいただけます。
末永く支援の輪が広がればと
存じます。